結局、誰もガセ情報から逃れることはできない。

おひさでっすヾ(*'∀`*)ノ
ちょいちょい、SLはINしてるんですが
そんなに書くようなネタもなく。

ちょっとした事象に関する退屈なハナシを。

山本太郎さんが天皇陛下に手紙を渡したという話であちこち賑わってますね。手紙の全文がネットに公開されたり、それが捏造だと事務所から表明があったり。

これって非常に判断が難しい話で、事務所が公式に「あの全文は捏造でありガセ」と言ったからといって、 陛下の受け取った現物の手紙が公開されない限りは本当にガセネタの証明にはならないし、後出しで「この手紙が現物」と公開されたといっても、それが贋物でない証明はできないわけで。

陛下はその場で宮内庁の人にすぐ手紙を渡しているので、陛下自身も中身は知らないわけですよ。仮に山本太郎さんが「これがその手紙の内容です」と今更公開しても、それが本当に手渡されたモノと同じ内容かという点では何の信憑性もないわけで。

つまり、厳密に言うと、もう誰も真実を証明することはできない。

その点を踏まえると、多くの人がメディア報道やネット情報を丸呑みして、山本太郎さんを叩いたり援護したりしてますが、どうしてそんな一方的に判断できるのか不思議な感じがします。

もちろん、園遊会という場で陛下に請願書まがいの手紙を手渡すのは失礼にも程があるし、単純に請願法違反の可能性も濃いと思います。日本は法治国家であり、天皇陛下に請願する場合は法律に規定がある以上、立法の専門家である国会議員ならば、それに則って請願文を陛下に奏上する手続きをとるべきです。

結局のところ、政治家として山本太郎さんがすべきことは、原発推進派や肯定派の人たちを地道に説得し納得させることでしか、実現しないと思うのです。そんな天皇陛下の号令で一変させようなんて政治家として横着にも程がある。その点に関しては政治家としての資質を問われても仕方ないと思います。


話が逸れました(ノ∀`;)

今回のテーマは「もう誰も厳密に真実を証明できない事象なのに、どうして様々な情報をイメージで鵜呑みにしてしまうのか?」でした。

基本的にネット上にある情報は二次三次情報なので、編集者に意図はなくても何らかの偏向が発生します。

では、一次情報は?

ところが、これも実はあんまりアテにならないのです。
むかし米国で起きたレイプ事件の顛末を例に挙げましょう。

被害者は、最初に逮捕された容疑者に対して「この人が犯人です」と証言しました。ところが、DNA鑑定とか科学捜査で後々、別の真犯人が逮捕され自白供述もしました。それにもかかわらず、被害者の人は「最初に逮捕された人が犯人だ!」と今でも訴えている、という話。

つまり、一次情報どころかレイプ事件の当事者であっても、状況や経過次第では事実から遠のいてしまう。そのぐらい、人間の記憶や認識力は曖昧で主観的である、ということをボクらは理解すべきだと思うのです。

たとえば、隣国との歴史認識問題とかでは、これに利害関係から偽証する人まで混ざってきますから、本来どんなに客観性を尽くしても真実に到達することは困難です。
それなのに「もうすでに○○という事実証明がなされて論破済み。議論の余地もない。」と断定してしまう人をネットとかで見かけます。どうして断定できちゃうんだろう??

特に過去に起きた事柄などは、その当事者や関係者の証言や当時の記録書類などを元に事実を推測することしかできません。それは、精度の良し悪しはあっても、あくまで推測です。事実証明たりえません。神様でもないかぎり、誰も証明することはできないんですよ。

(まあ、歴史認識問題っていうコトバは、使っている人たちが思っている以上に、真実を言い当てているんですよ。それは「どう認識を共有するか」という問題であって、事実を認定する問題じゃないんです。)

事実証明したと断定してしまうから、細かい矛盾点や錯誤点が批判されたりするわけで、「事実は証明できない」ということを前提にして、「どのように認識を共有するか」を議論すればいいのになーと思ったりします。

もっとも、議論したいだけ、否定したいだけ、罵倒したいだけ、って人もいるし、価値観として相容れないコトもあるんすけどね。





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